甑山道の主要思想
甑山道の『道典』は、自然界の秩序は勿論、人間社会の秩序に至るまで、広い範囲の主題を説いているゆえ、多少難解に思えるかもしれません。
そこで、読者諸位の理解を助けるために、この道典の中に盛られている甑大道思想の核心を簡単にまとめてご紹介します。
宇宙はどのように変化するのでしょうか?:生・長・斂・蔵
宇宙とは何でしょうか?天地四方の空間を「宇」と言い、古今往来の時間を「宙」と言います。つまり、無限の時間と空間のなかで繰り広がる物事を宇宙とも言えます。宇宙はありとあらゆる生命体が誕生して、成長、変化していく器なのです。
人類は、多様の生命体が共存する天地の間で、それぞれの文明を花咲かせて来ました。ところで、異なった文化を持った東洋と西洋は、宇宙を眺める観点の相違から、それぞれ独特の宇宙論と宗教と哲学をつくり出しました。しかしながら、東洋と西洋の宇宙論には、宇宙に一定した循環の周期があるという確信を共通的に持っています。この周期について甑山上帝様は次のように説かれました。
私は生長斂蔵の四義を用いるが、これが即ち無為以化である。
-『道典』2:49:1-
宇宙万物は、誕生(生)-成長(長)-結実(斂)-休息(藏)の循環運動を繰り返します。この「生長斂藏」の変化法則は、宇宙であろうが微物であろうが、有形の物であろうが無形の物であろうと、この世に存在するものには例外なく適用される普遍的な真理であります。この原理は、秋になれば実を結ぶ果樹の生長周期を見ればよく分かります。春には陽の気運が上昇して、根元にあった水気(水の気運)が幹を伝って、新芽が青々と生えます。夏に入れば、木の葉がこんもりと茂ります。
ところが、秋となればいつの間にやら、生い茂っていた葉々は、秋風と冷たい霜の粛殺の気運によって一夕にして落ちてしまいます。これと同時に、生命の律液である水の気運は、再び元々あった所の根に戻り始め、木は実を結びます。そして、冬になると木々は一切の生命活動を中止し、春を待ちながら、長い休息に入ります。一株の樹木のみならず、人間の一生、文明の歴史、宇宙の生成変化もまた生・長・斂・藏の原理に基づいて循環します。宇宙のありとあらゆるものに適用されるこの変化周期は、宇宙史の進化を理解する鍵なのです。
原理で見る後天開闢
甑山道の核心なる真理の要は後天開闢です。地球の一年は、人間が禄を手に入れて、その禄を食べるための1年草木農事であり、宇宙の一年は、宇宙から地球を中心に人間を養う人間農事を営む宇宙の四季であります。宇宙の一年は129,600年です。宇宙の一年をもう少し体系的に説明しましょう。
自然の本性は変化することであり、その変化は時間の波で現われます。天地日月の運行による自然の時間・天体の時間は、人間の生において最も基本となるものです。そして、時間の変化の基本単位は、一日の昼と夜が交替する「陰陽動静」の変化です。つまり、地球は360°の自転運動で一日昼夜の時間帯をなし、これを360日間循環することで一年(四季)の変化度数をなします(360°×360日=129600°)。
これと同様に、天地日月の変化運動も一回の循環周期である360年を更に360回反復循環することで、129600年(360×360)という天地日月の四季をなします。ということで、宇宙の一年は129600年であります。
人間の体も陰と陽に変わるものです。一分間に脈拍運動は平均72回、呼吸は18回です。そこで、一日の脈拍数と呼吸の回数を合わせれば129600の数になり、宇宙一年の開闢度数とぴったり一致します。
この129600の数は天地と人間の生命変化の基本サイクルをなす度数です。天地万物の生成変化の謎を解く秘密は宇宙の一年にあります。甑山上帝様は、人類文化史上初めて、宇宙の時間の秘密と宇宙秩序の全貌を通じて宇宙一年の体系を具体的に明かして下さいました。
宇宙の一年において、万物が誕生して成長する春と夏を「先天」と言い、万物が成熟して結実する秋と冬を「後天」と言います。ここで、人間が文明の発展を重ねながら生きる地上での生存期間は、先天5万年の男性時代後天5万年の女性時代を合わせた10万年です。そして、残りの約3万年は氷河期ですが、これは大自然が再充電して次の宇宙の春に人間と万物を生み育てるための準備期間、即ち休息期です。甑山上帝様はこれを「冬之気は道也である」(『道典』2:110:1)とおっしゃいました。
宇宙の一年を先天と後天に区分することは非常に重要です。天地の春と夏が先天の世であれば、夏が終わり結実に入る秋は後天の世であります。先天の世は春開闢を通じて開き、後天の世は秋開闢を通じて開きます。
先天の世では相克の道理が万物を主導しますが、後天の世には相生の道理が主導します。「先天では相克の道理が人間と事物を受け持ったため、全ての人事が道義に合わなくなり、怨恨が鬱積して三界に溢れ、遂に殺気が爆発して、世の中にあらゆる残酷な災いを引き起こすことになったのだ」(『道典』4:14:2-3)。つまり、先天では天地が相克秩序のなかで万物を生み育てるので、絶え間なく対立と闘争、戦争が発生し、人間と万物はこれを克服しながら成熟に向けて壮大なる挑戦の歴史を刻んで来たのです。
これが過ぎし先天の夏における人類の成長過程でした。この相克を越えれば、自然と人類文明の成熟した秩序が開かれます。これが「相生」の世の中です。甑山上帝様は「私の道は相生の大道である」(『道典』2:15:1)、「相生の道をもって造化道場を開き、万古にない仙境世界を建てようとするのだ」(『道典』2:31:2)とおっしゃいました。
先天の世は宇宙万物が成長・分裂する相克時代であったが、後天の世は収斂・統一する相生時代であります。先天の世が量的な膨張の時代であれば、後天の世は質的な結実の時代であります。先天の世が男性中心の陽尊文化の時代であれば、後天の世は女性中心の陰尊文化の時代(正陰正陽)であります。また、先天が天と地を尊ぶ時代であれば、後天は人間が最も尊ばれる人尊文化の時代です。
後天の秋開闢は大自然の秩序が万物の結実を迎える時であります。この宇宙秩序の転換は、既成宗教で言う終末や末法世界を超えて、新たな宇宙秩序とともに始まる新しい世の中、新しい文明の歴史をもたらします。言い換えれば、先天の取るに足りない文化は片付かれて根に帰り(落葉帰根)、春夏の成長期に花咲かせた文化の真髄は収められて秋宇宙の生命の実を結ぶ、後天の世が到来します。
甑山上帝様は、今は天地の夏から秋に移り変わる後天開闢の時であると言われました。万有生命を含め、我々が生きている宇宙は、今や後天の秋開闢期を迎えています。
この時には、「春には生み、秋には殺す」といった春生秋殺の理法により、大きな災いが襲って全世界を荒らし尽します。
もはや、天地大運が大いなる秋の時運にを迎えた。天地の万物農事が秋の運数を迎え、先天における全ての悪業が秋運の下で大きな病を生み出し、天下の大乱を引き起こすのである。大乱の後に大病が発生して全世界を荒らし尽すようになれば、逃れる術がなく、どんな薬ででも治すことができない。-『道典』7:28:4~6-
後天の秋開闢期には、自然の災難は言うまでもなく、先天相克時代の間に解消されず累積してきた神明界と人間界の怨恨が全て報復の殺気と化して一斉に爆発して大戦争を引き起こし、秋殺の気運に乗じて発生する怪病が全人類を死に至らしめます。これを甑山上帝様は「今後、病劫が全世界を荒らし、人類を全滅させても、生き残る手立てが得られないだろう」(『道典』7:24:3)と諭されました。
そこで、原始の神聖と仏陀、菩薩、天地の神明が上帝様のもとへ馳せ参じて、後天の大開闢期に人類を救済する手立てを教えて下さることと、更に新しい世界、新しい文明の造化仙境を開いて下さるよう懇願したところ、遂に上帝様が親しく人間の世に降りて来られたのです。
人間として降世なさった甑山上帝様は、後天の秋開闢の大艱難から人類を救い上げ、先天の各文明から精髄を抜き集めて、新しい世の中を開くための秋開闢の真理の枠を「天地公事」で組んで置かれました。これが甑山上帝様の無極大道であり、正に甑山道の真理です。この新しい真理は人種と宗教と民族を超越するものであり、これから全ての人が受け入れるべき普遍の真理であります。
後天の秋開闢の精神とは
生命の根本に帰ることの原始返本
宇宙の秋が訪れるのを後天開闢と言います。後天開闢期を迎えた全ての人間は生命の源に立ち返って、実を結ぶ生を営まなければなりません。甑山上帝様は宇宙の秋開闢の精神を、「今は原始返本する時代である」(『道典』2:4:1)との一言で諭して下さいました。
原始返本の「返本」とは、「根本に帰る」という意味で、原始を基にしています。「原始」は、歴史的出来事であれ、自然的出来事であれ、生命があってもなくても、存在する全ての事物の中に内在している始原の精神を探し求めることです。
このように「始」と「本」は、人類文化の始原、原形、根の文化の精神を意味します。この精神は神教で窺えるもので、神の教えを受けること、そうして神道と人間が一つになることを意味します。ここでの神は、個人的には祖先神を意味しますが、究極的には甑山上帝様を言います。
「原始返本」とは、このように人間社会を含む「宇宙万物の始原を正しく知って、その根本に帰ること」を意味します。この意味を甑山上帝様は次のように具体的に明かして下さいました。
一つ、宇宙の秋開闢は万物が実を結ぶ秋の収穫期であります。実を結ぶために、人間は原始返本における道の本性を回復しなければなりません。昔から東洋の文化圏ではこの道の主宰者を上帝様と言ったが、これが東西神観の著しい特徴であります。西洋で言う元神は、東洋では道の主宰者であり、まさに宇宙の目的を成就する存在としての神を意味します。その方は、儒教と道教が天祭を通じて奉じ続けてきた上帝様であります。従って、秋開闢期における全ての人間の精神と文化の成熟は、道の主宰者である上帝様が人間として来られて開いて下さった窮極の造化であり、大統一の道である無極大道に帰することです。
二つ、原始返本の根本は、人間にとって生命の根である祖先、即ち先霊であります。私を産んでくれた両親と祖先代々は私の根であり、私はこの先天末期の夏の時間帯を生きている、実なる存在なのです。甑山上帝様は、「子孫が先祖を冷遇すれば、先祖も子孫を冷遇するのである。今や、人種の種を選り分ける後天の秋の運数を迎えたので、先祖神を粗末にする者は生き残れないだろう」(『道典』2:41:5~6)と言われ、後天の秋開闢期に生き残る途は、先霊の陰徳にあることを峻厳に諭されました。
これは、秋季の秋殺気運によって私が死んでしまえば、私の先祖全ても共に消滅されるからです。これはまた、神明と人間が互いに根の存在でもあり、一体であることを意味します。今を生きる人間たる者は、「自分には自分の先祖が神様である」との考えで先霊神に対する認識を新たにするべきです。
三つ、原始返本の「本」は、儒・仏・仙・キリスト教以前の人類の始原文化である、神教文化の原形を意味します。甑山上帝様は神教の原形を回復させ、宇宙の秋の統一文明を開くための一つの元肥として用いられると言われました。
ここで私たちは、神教の教えを説いて下さる三神上帝様、人間の身をもって来られた甑山上帝様に出逢わなければなりません。これは根本を正しく悟ることから可能なことです。後天の秋開闢期に生じる諸々の問題を解決するためには、最も根源的な「本」、即ち神教の教えをはっきりと認識するべきです。
一本の果実樹が精一杯成長する夏季を過ぎ、秋を迎えれば実を結ぶ道理と同じく、天地の万物が宇宙の秋になって成熟した生命の実を結ぶことは、原始返本の道理に他なりません。秋開闢の根本精神は、甑山上帝様が、過ぎし先天の春と夏の東西文化の真髄を収めて、秋の結実文化、成熟した文化、統一文化を開くことを言います。
従って、生命の根源に戻って成熟した生を営むためには、人間誰しも秋の開闢文化をお開きになった上帝様の新しい真理に巡り合わなければなりません。これについて、甑山上帝様は「万一、私の陰から離れれば死ぬであろう」(『道典』10:29:11)と言われました。
詰まる所、生命の源である甑山上帝様に帰依してこそ、人類は秋開闢期の大艱難から救済され、成熟した新しい生命として生きて行くことが出来ます。
天地に恩返しすることの報恩
天地の秋を迎える人間にとって、原始返本に基づいた生き方と言えば、何よりも根本に感謝することです。自然の玄妙な造化と人生の様相を静かに眺めてみなさい。この世の中には授受の法則から外れたものは何もありません。恩恵を遣り取りする法則は、生命の造化と創造の道理であります。「報恩」とは、字義通り、「恩に報いること」です。
飯一杯の恩を忘れず、半杯でも忘れてはいけない。『飯一杯の徳にも必ず恩返しせよ』という言葉があるが、私は『飯半匙の恩でも必ず返せよ』と言うのだ。
-『道典』2:40:3~4-
広くは社会と社会、民族と民族、国家と国家、神明と神明との間に交流の基調となるのが報恩であり、個人的な親子、兄弟、姉弟、先祖と子孫との間にも全く同じです。特に先霊神に対する恩返しは、天倫の観点からして人間ならではの守るべき義務であります。先祖をよく恭敬することが恩返しであり、そうすれば私たちの営みもまた幸福で健康になります。上帝様は先霊神の大切さとその恩返しについて、このように諭して下さいました。
人が先祖から体を受け、その恩返しとして先祖の祭祀を営むのは、天地の徳に合致するものである。
-『道典』9:102:5-
報恩は、人間が秋の成熟をなす第一の徳目であります。真理と生命の恵みは人間にとって最も大きい報恩の対象で、その恩恵の根源は大自然の天地日月、即ち天地であります。従って、報恩の核心的意義は、万物を生み育ててくれた天地父母に対して恩返しすることです。上帝様は「天地は万民の親であり、親は子の天地である」(『道典』2:41:4)とおっしゃいました。これは、人間の生命を生むのも天地であり、その生命を育てて成熟させ取り入れるのも天地であることを意味します。
天地に対する報恩の重要性は、「道通天地報恩」(『道典』6:82:5)といった言葉からも窺えます。天地の秋、万物が成熟し、新たな人類文明が開闢される今は、まさにその恩返しをする絶好のチャンスです。天地から受ける恩恵は生命の恩恵であり、成熟の恩恵であり、開闢の恩恵です。このように開闢の道理、天地の法則を悟る道通は、自らを生かす途であると共に天地を生かす途であります。
天地に対して恩返しする方法は、道通をすることです。言い換えれば、天地の父母に報恩することは、甑山上帝様の真理に目覚めることです。甑山上帝様の真理を正しく体験し実践して天地と一つになる途は、甑山上帝様に帰依することです。私たちがこのように甑山上帝様の真理を拠り所とし、秋開闢の真理の勉強に熱狂的にならねばならない理由は、これが正に天地に恩返しする途であるからです。これが甑山上帝様の報恩思想の核心であります。
天地に徹した怨を晴らす解怨
人間は誰しも生きている限り熱い欲望を持って生きて行きます。しかしその動機がどうであれ、自分の念願と欲求が挫折すると、心に凝りが残り、しだいに「怨と恨」として積もります。この心底に抱いている怨恨が募れば、これはYと殺気に変わって人間世界に様々な災難と不幸を招くのです。
Yと殺気とは、そういった葛藤と苦痛が表出され、相手に仕返しするようになる心情的状態のことを言います。怨恨が蓄積してつくられる殺気の総体は、結局、人間と天地自然を破壊する否定的なエネルギーとして作用するようになります。
先天は相克の運である。相克の道理が人間と万物を司り、天と地に戦乱が絶え間なかった。それで、天下は怨恨が溢れんばかりに満ちた。今、この相克の運を締めくくろうとする。それゆえ、大きな厄難が一斉に起こり、人間世界が滅びるようになった。-『道典』2:12:4~7-
人類が歩んできた歴史の底辺には、数限りない苦痛と悲劇によって死んだ英雄たち、よい世の中を作ろうと事を図ったが水泡に帰した逆神たち、逼迫のなかで一生を終えた女性たち、バラバラにちぎられて死んだ堕胎児らなどの怨と恨が蓄積されてわだかまっています。
先天を生きる人間の生の旅路は、相克秩序のもとで生まれ、生きていくなかで必然的に生じる矛盾や葛藤を絶え間なく克服しつつ、秋開闢の成熟の歴史へ向かって行くものです。この秋の成熟、人間の成熟、文化の大統一のためには、先天の相克秩序のなかで生きていくあらゆる生命の怨と恨を、根源的立場から解き晴らさなければなりません。甑山上帝様は、人間の生と歴史過程のなかで必然的に生じた多くの死の要素、悲劇の素になる怨恨を解消させてしまうために、「解怨公事」を執行なさいました。
今や、いにしえから積もってきた宿怨を晴らし、そこから生じた全ての惨事を消滅させてこそ、永遠なる平和を成し遂げられるのだ。…それ故、今、天地度数を改め治し、神道を正して万古の宿怨を晴らし、相生の道をもって仙境を開き、造化政府を建て、作為なき治め(無為以化)と言葉なき教えで民を教化し、世直ししようとするのだ。-『道典』2:40:3~4-
解怨は単に人間の恨みを晴らすという意味でのみ理解してはいけません。先天の世の中における相克の歴史を解消するためには、人間世界で怨と恨を抱いて死に去った神明たちの怨恨を先ず解き晴らして、悲劇の要因をなくさねばなりません。解怨公事は、取りも直さず神明を解怨させる公事であります。
神明の解怨は、人間を通じてのみ可能です。上帝様は、先天末期における乱法の解怨を通じて全ての神明の怨恨を解いて下さいました。このように神明と人間の同時的な解怨を通じて、先天の相克天地と人類を根源から癒すことができます。これが、原始返本の道をなして永遠なる平和を成就し、人類を救済するための新しい処方である「解怨の道」であります。これは、上帝様が執り行われた9年天地公事の中に溶け込んであります。
自然と人類を共に生かす相生の道
先天が冤と悪でもって生きてきた相克の世であるとすれば、後天は福と善でもって生きるようになる相生の世です。また、人間と神明の胸中に、そして天地万物のなかに棘の如く突き刺されている怨と恨を解き晴らすのが怨恨であるとすれば、相生は、そのようにして解怨された清くて純粋な心情で、「互いが生かし合い、他人がよくなるようにする生命救済の結晶体」と言えるでしょう。
今までの生の病弊を診断し治癒する処方としての解怨と、これからやって来るであろう新しい世の中の理想的な生き方となる相生は、原始返本の道を実現する大事な実践理念であります。解冤の要は宇宙生命の対立的関係を解消することであり、相生の核心は宇宙生命の調和した関係の実現にあります。上帝様は病む世界を改め直し、ひいては天地の相克秩序まで正して、相生の道でもって新しい世の中を開く、と宣言されました。
私は今、神明を調和して万古の怨恨を晴らし、相生の道をもって造化道場を開き、万古にない仙境世界を建てようとするのだ。-『道典』2:31:1~2-
後天相生の秩序は、愛や慈悲といった抽象的な理念とは別に、現実のなかで人を幸せにする、そうすることによって実際的にお互いよくなるようにする生命共同体の倫理です。甑山上帝様が開いて下さった相生の道は、「他人がよくなるようにする徳性」と善良な道心でもって充実した人生を営む、新しい世界の真なる生命の道です。
我々のなす事は、人のためになる勉強なので、人がよくなり、その余分だけを取るとしても我々の仕事は成功するのである。-『道典』2:15:8-
生命の本性は、生きようとすることです。生きるということは、全ての生命現象の調和的な関係の実現であります。従って、相生は「生かす」、「他人がよくなるようにする」との意味で、人間相互間の生かし合いを言うと共に、全ての生命体との調和を意味します。
相生の大道は、自分よりも先ず他人をかえりみる利他主義の理念です。この相生の大道をなすためには、報恩と解怨は不可欠なものであります。報恩・解怨・相生の精神は、お互いが補完し合い、一体になって実行されるものなのです。
このように原始返本の三つの精神の中で、報恩の核心は天地の父母と親子、神明と人間、人間と自然などの関係を改めて整え、宇宙一家の統一的関係を成就することで、解冤の核心は宇宙生命の対立的関係を解消することであり、相生の核心は宇宙生命の調和した相生関係の実現にあります。
新しい世界のための大開闢公事
天地公事の理念
宇宙の原理から見れば、今は、宇宙の夏から結実の秋へと移り変わる「夏秋交替期」であります。この時は、先天相克秩序の中で成長した病む天と地と人類の文明が、先天末代の古びた気運を閉め切って、相生の新しい秩序へ転換するようになります。
このような時、宇宙の主宰者であられる甑山上帝様が降世なさって、病んだ世界を根元から治癒し、秋開闢の新世界・新文明を開くための新しい宇宙秩序のプログラムを組まれました。これが言わば人類救援の大開闢公事、即ち「天地公事」であります。
今、混乱きわまりない末世の天地を改め直し、新しい世界を開き、否劫に陥っている人間と神明をあまねく救い、それぞれ安定を保つようにする。これが即ち天地開闢である。これまでの事を継ぐのでもなく、世運に左右されることでもなく、唯一私が初めて行うことである。
-『道典』2:24:1~4-
「天地公事」の字義は、「天と地を改め直して新たにする」ことです。これは、宇宙の主宰者であられる甑山上帝様が天地神明を従えて、人間の歴史を最も理想的な方法で立て直すことを意味します。
天地公事を言い換えれば人事とも言えます。それは、人事は歴史として実現され、歴史は「度数」に従って展開されるからです。上帝様が神明造化政府で先天の歴史を審判し、新しい歴史を企画なさった全ての事は、やがて歴史的現実として実現されます。このような天地公事は大きく世運と道運とで構成されています。世運は、世界歴史の運命を決定する度数を組んで置かれたことを言い、道運は、甑山上帝様の道の継承者が地上に降りて来て道業を完結するように度数を組んで置いたことを言います。
神明造化政府の建設
■天上神明界の統一
新しい世界・新しい文明を開くための度数を組む際、最も優先すべきことは、分裂され混乱極まりない神明界の統一であります。上帝様は「鬼神は天理の極みであり、公事を執り行う時には必ず鬼神と共に判断するのである」(『道典』4:50:1)と言われたように、神の究極的な存在意味は人間を通じて現われることで、人間の存在意味、これもまた内在する神を現わすことです。
甑山上帝様は天地公事の執行にあたって、真先に先天相克秩序のなかで乱立してきた天上の神道世界を正して統一なさいました。そして、世界文明神、万古逆神、万古怨神、世界地方神、各姓の先霊神、冥府、それから24将と28将、48将の神明たちを従えて、人間の新世界と新文明を企画・調整する天上神明界の造化政府を結成されました。上帝様は彼らと共に天地の法廷を開いて、先天5万年の相克の人類史を審判し、後天5万年の相生の新しい宇宙文明を設計されました。
■地運の統一
文明は、根本的に地を基にして興ります。地は、人間が大地に根を張って生きて行くための基盤であり、文明が発生するための地域的条件です。それ故、地の気運は人間の生活方式と文明のあり方に決定的な影響を及ぼします。
先天の相克秩序では地気・地運が均等ではなかったので、東洋と西洋は神に対する異なった理解と認識を持つようになり、各民族はそれぞれ独自の地方神(守護神)を祭って来たため対立と闘争の絶えない文明として発展してきたわけである。
これまで、古来より各地方に割拠してきた全ての種族間の争いは、各地方神と地運が互いに統一されていなかったことが原因であった。それ故、今、各地方神と地運を統一させることが人類和平の原動力となるのである。
-『道典』4:17:1~2-
秋開闢期に、統一一家をなし造化仙境文化を開くためには、一先ず地の気運を調和的に統一させなければなりません。父母が一家の長として家族を養育・統率するのと同じように、地の気運を統一するのも父母の山から始めなければなりません。韓国全州の母岳山は母の山で、向かい合って立っている淳昌の回文山は父の山であります。(『道典』4:51:1~3参照)
そこで、天地の開闢長なる甑山上帝様は天上の聖神たちと共に、東方天子国の瑞気が立ち込めている父母の山を起こし、その子女にあたる四明堂(五仙囲碁・胡僧礼仏・群臣奉詔・仙女織錦)気運を発動させ(『道典』5:294:8~13参照)、今まで断絶していた地運を通じるようにし、天と地の気運を一つに統一されました。
■地方神の統一
地運と陰陽の対をなすものは、神道世界に居る各地域の地方神です。甑山上帝様は世界各地域の文明を先導して来た地方神を統一して、調和的な交流の道を開いて置かれました。
先天は三界が閉ざされていた時代である。それ故、各国の地方神たちは互いに交流と往来がなく、ただ、自分の地域のみを守護していたので、その版図が小さかった。今は世界の統一時代を迎え、神道を解放し、各国の神明たちを互いに行き来させて、それぞれの文化が交流できるようにする。 -『道典』4:6:1~3-
甑山上帝様は世界の地方神を統一することで、彼らの間に円滑な相互交流がなされるようにし、これを人類平和の原動力にしました。また、各種族が発展させた様々な文化の精髄を抜き集めて、後天仙境文化の基礎とされました。世界の地方神を統一することは、未だかつてなかった全く最初のことであります。これは、ひとえに宇宙の最高主宰者であられる甑山上帝様、真の神様ならではの大権能でのみ可能な事です。
■二通りからなる天地公事(世運と道運)
神明界を統一し、神明造化政府を結成された上帝様は、彼らと共に新しい歴史を創造するための9年(1901~1909)間の天地公事を執行されました。天地公事は宇宙と神道の志が、そのまま人間の歴史秩序と符合し実現するよう緻密に組まれています。
「私が天地運行の路線を改め、水も漏れぬように度数を堅く組んでおいたので、それぞれの度数に巡りつくに従い、新しい路が開けるだろう」。(『道典』5:319:3)甑山上帝様が水も漏れぬように組んでおかれた天地公事は、大きく世運と道運に区分されて、歴史的な現実として現われます。
上帝様の大理想郷が道運と世運として展開され、宇宙村の仙境楽園が建設されるように、水も漏らさぬよう枠を組んでおかれたのである。 -『道典』5:1:9-
甑山上帝様は特に、公義を実現する過程で死んで行った万古逆神と万古怨神の義気と心法を高く評価されました。上帝様は彼らを道運と世運の元肥とし、新しい宇宙文明を開く事に一役を任せられました。
先天の成長の絶頂で、天地いっぱいの怨神たちを解冤させ、相克秩序を終決して統一文明へと進めるよう歴史秩序を正したのが、世運公事であります。そして、万古逆神を解冤させ、後天の秋開闢期に人類を救済し、仙境世界を建設する指導者と働き手たちが出世するよう度数を組んでおいたのが道運公事であります。
歴史の中から明らかになる天地公事
甑山上帝様が執行なさった天地公事は、人間歴史の現実として、具体的にどのように実現されるのでしょうか?
古今東西の文化は共通的に、自然の中の理法(道理)と神性、つまり合理的に理解できる理法(科学的側面)と合理的に理解し難い神性(宗教的側面)、この二つの側面を同時に見ようとした古代ギリシアの伝統がそうだったし、東洋の儒仏仙の伝統がそうだったのです。
甑山上帝様は、人類の真理(智恵)を探究するうえに二つの目である理法と神明界を統一なさって、それを基礎としてし人間の歴史を正されました。それが甑山上帝様が初めて明かして下さった理-神-事の原理です。この原理に従って、天地公事の内容は一つひとつ歴史的事件として現われます。
宇宙万物は「生-長-斂-藏」の過程を通じて変化し、「陰陽・五行」の作用で現われます。生長斂藏は、宇宙万物を生み育てる最も公明正大な天地の変化精神であり、宇宙全体に適用される上帝様の主宰原理です。天地間でこの変化理法に当て嵌まらないものは一つもありません。
それ故、上帝様の天地公事もまた、この宇宙変化の理法を基にして執り行われました。今まで我々は、宇宙文明の歴史は自然の理法と人間の活動によってのみ動くものだとばかり教わって来ました。しかし、甑山上帝様はこの世で発生する諸々の事は皆、神が媒介して起こるものだと諭して下さいました。
天地間に満ちているのが神である。草の葉一枚でも神が離れれば枯れしぼみ、土の壁でも神が離れれば崩れ落ち、爪の下に棘一本刺さるのも神があってなるのである。
-『道典』2:87:4-
天地の間に満ち溢れているのが神であり、神がいない所はなく、神が関わってない事はない。-『道典』2:45:1-
神が媒介がなければ何事もなし得ません。有形無形に関わらず、天地間で起こる全ての物事は神明の媒介作用を通じてのみ現実化されるのです。宇宙の秩序を新たに組む事も同然のことで、神明が関わらなければなりません。
そういうことで、甑山上帝様は先ず天地の神道世界の門(天地大神門)を開き、彼らと共に新世界新文明を開くための新しい秩序の度数をお組みになったのです。全ての歴史的事件は理法と神道が陰陽一体になって具体的に展開されるのです。
天下の全ての物事には天の命(理法)がある。それ故、まず神道で神明がなしてから、その気運を受けて初めて人が行うようになるのである。 -『道典』4:41:5~6-
天地で展開される大小の出来事は全て神が演出する歴史の波です。人間の現実的歴史もまた神道で先ず作動し、人間がその気運を受けて実現することによって現われます。
詰まる所、甑山上帝様が度数として組んで置かれた天地公事の内容は神明と人間が合一して歴史の中に具体的に実現されます。
秋開闢の4つの主題(様相)
神明開闢
先天末代の誤った自然秩序、歪んだ人類文明史を正しく認識し、あらゆる葛藤と紛争、天地に溢れんばかりに満ちている怨恨を解消することが秋開闢の要です。全ての歴史的な出来事は神明の介入によってなされるものなので、神明の造化権を発動させることが、人間世界で開闢を実現する核心であります。それで、神明と共に人類歴史の過去と現在と未来を審判し、天と地と人間世界が進むべき新しい道を開くためには、神明世界を新たにしなくてはなりません。これが神明開闢です。
天地公事は、即ち人事であり、人事は神明の介入によって歴史的現実になるものなので、神明開闢公事を必要とします。前述したように、神明世界を開闢されながら甑山上帝様は先ず地域的に分かれて争いに明け暮れた各地域の地方神を統合し、民族間の和合を図られました。特に、各姓の先霊神を造化政府に参与させて、秋の大開闢期に、彼らが子孫たちに生きる途を与えられるようになさいました。「各姓の先霊神が一名ずつ天上公庭に参与しているのに、今、万一、一人の者に道通を与えれば、全ての先祖神たちが集まって来て、偏頗を詰るであろう。故に、私は私情を差し挟むことができないのである」(『道典』6:88:2~4)
先天4大宗長の交替
甑山上帝様は天上神明界の開闢公事を執り行われるなかで、先天宗教の4大宗長を功徳の多大な人物で交替されました。これは秋の開闢文化を導く原動力になります。
仙道と仏道と儒道と西道(キリスト教)は、世界各種族の文化の根源となった。そこで今、崔水雲は仙道の宗長とし、朱晦庵は儒道の宗長に、利瑪竇(マテオ・リッチ)は西道の宗長とする。そして、各々その津液(エキス)を収めて、全ての道統神と文明神を率いさせ、各種族の間に表われた幾筋もの文化の精髄を選り集めて、統一ならしめるのだ。 -『道典』4:41:5~6-
マテオリッチ(利瑪竇)大聖師は、神道から地上の人間たちに霊感を効かせてくれる主導的な役割をすることで、近代の科学文明が飛躍的な発展を遂げる契機をつくりました。朱晦庵(朱子)は孔子以来、儒学を集大成して後世の道徳と学術に極めて大きい影響を及ぼした功徳があります。震黙(チンムク)大聖師は、死後は東方の道通神を率いて西洋に渡り、西洋の文明発展に至大なる貢献をしました。
それから崔水雲(チェスウン)大神師は人間として降世なさる天の主であられる上帝様に仕える侍天主時代の到来と新しい宇宙を開く開闢の知らせを伝えて大いなる功徳を立てました。
冥府を掌る神明の交替
人間と神明の生死を担当する所は、天上の法廷、即ち冥府です。冥府は人間と神明それぞれの功徳と罪業を裁いて、彼らの生死如何を判断する所です。
冥府公事の真審理に従って世の中の全てのことが決定されるのだ。それ故、冥府の混乱に因って世界もまた混乱するようになるのである。全明叔を朝鮮冥府に、金一夫を中国冥府に、崔水雲を日本冥府に、マテオリッチを西洋冥府にしてそれぞれ管轄させ、冥府の整理公事長の役に充てるであろう。-『道典』4:4:6~7-
天上冥府の秩序を正すことは、とても重要です。何故ならば、これが先天末代の文明を審判する秋の大開闢期に、天地生命界の生死、特に人間と神明の生死を正しく見定める根本動力であるからです。
自然開闢
自然開闢の核心は、天地の運行秩序を替えることです。つまり、先天相克時代の抑陰尊陽の秩序を終決し、後天相生時代の正陰正陽の新たな秩序を立てることです。そうするためには、天地日月の運行秩序を正さなければなりません。
天道の運行秩序を立て直すことは容易いことではありません。ただ至尊なる宇宙の統治者、絶対的権能を持つ造化主の上帝様のみに可能なことです。根本的な自然開闢について、甑山上帝様は次のように説いて下さいました。
学者たちが「方位が変わる」と言っているが、私が天地を変えておいたことを、どうして世の中が知るだろうか。
-『道典』4:98:1-
ここで、天地の「方位が変わった」という言葉は、二つの側面から考えられます。一つは、北極星を基準にして23.5°傾いたまま自転している地球の自転軸が一瞬にしてまっすぐに立つことです。これは空間秩序の開闢と言えます。もう一つは、太陽を中心に楕円を描きながら365日と4分の1を一周期にして回っている地球が、正円を描きながら360日を一周期にして公転することです。これは、時間秩序の開闢と言えます。
現実的に地軸の傾斜は、天地の調和的な運行秩序を妨げ、酷寒酷暑の季節を生みます。また、楕円軌道を描く地球の公転は陽が多く陰は少ない、秩序の不均衡をなしていました。しかし、甑山上帝様が造化権能でもって、傾いた地軸をまっすぐに立てて正円軌道で公転するよう公事を行われました。もはや後天には酷寒酷暑がなくなり、「正陰正陽」の新たな秩序のもとに、理想的な調和をなす相生の時代が到来するようになります。
人間開闢
後天の秋開闢は、新世界・新文明を開くための過程です。開闢後の世の中で生きるためには、先天の世を生きながら身に付けていた全ての観念と習性を切り捨てて、新たな人間に生まれ変わらなければなりません。
お前らは古い生き方を捨て、新しい生き方を図りなさい。古びた習わしが一つでも残っていれば、その身は滅ぶであろう。 -『道典』2:47:2~3-
先天世界での人間は定型化した生き方をしていました。暗鬱な技術文明の陰で、本然の霊性を失ったまま抑圧と偽りに慣らされ、慣行と規範の奴隷になって、時の状況に順応しながら禽獣のように野蛮な文明を発展させて来ました。秋開闢の新しい時代に生きようとする人は自分自身を開闢しなければなりません。
自己を開闢して根本から改められた人は、本来の心を回復した人です。本然の心は「天地と一つになった心(天地一心)です。天地と一つになった心を持った人は、天地父母の心を抱いた者です。そして天地の志を悟った真の人間で、天地の理想を実現し得る者です。天地と一つになった心を持った人は、自分の中に内在した神性と一つになった状態、つまり、「神人合一」の状態を成就するようになります。この神と人間が合一した状態、それこそ造化世界であります。
私の世は造化仙境である。造化でもって治めるので、無言の教えで無為にして教化される。私の道は相生であるので、互いに克する道理と罪悪のない世の中なのである。来るべき世では、男も女も皆、大丈夫で大丈婦なのだ。今や、天下を一家に統一するので、全人類が一家族となり、徳が爛熟するであろう。また、生命を生かすことを徳とするであろう。後天は人間と神明が一つになる世界である。 -『道典』4:98:1-
従って、人間開闢の核心は天地と一つの心になることであり、これは秋開闢の結実である成熟した人間としての誕生を意味します。成熟した人間は、自分自身に内在する霊性をまともに具現し、新たな想像的人間として生まれ変わる新・人間です。霊的な智恵でもって生きる新・人間は肉眼で見なくても、理性的知識で推理しなくても、過去と現在と未来を霊眼で見通すことができます。新・人間のみが偽りと葛藤、そして闘争のない後天仙境世界の万事知文化を開いて行きます。
文明開闢
今までの人類の文明史は戦争と殺戮、報復で満ちた血まみれの歴史でした。上帝様は、もはや人類の文明はその極限に達したとおっしゃいました。物理的な力と経済的な利害により、互いが敵対視する相克の文明が現代文明の実相です。上帝様はこのような状況を超克して、相克の先天文明に終止符を打ち、相生をもって一つになる後天の仙の文明を地球上に具現しようとなさいました。これが文明開闢です。
文明開闢の出発点:丹朱の解冤
新しい文明を開く第一歩は、丹朱の解冤からです。丹朱は、先天の歴史に累積された葛藤と怨恨が何処から起因したものかについての根源的な端緒を提供します。また、世運を統轄して先天末代の相克秩序を締めくくる秋開闢の新世界・新文明を開く問題の鍵です。
我々は上帝様の丹朱解冤公事を通じて、宇宙の理法と上帝様の公事精神を窺うことが出来ます。相克の極端な現象は戦争です。戦争は一瞬にして何もかも破壊してしまいます。新たな建設は解体のうえに建てられる。これは相克を通しての相生の模索に他なりません。
秋開闢は先天の相克文明から後天の相生文明への劇的な転換を言います。もはや、後天の秋開闢が目前に差し迫っている状況です。このような状況下で、怨と恨で渋滞した先天文明の弊害を、一遍に剔抉し得る最も効率的な方法は戦争しかありません。そこで、人類史において累積した弊害が余りにも厚いうえに、全ての物事は宇宙の理法を基になされるべく、上帝様は生-長-成の原理に従い、三次にかけて戦争が展開されるように公事で定められました。
戦争、これには人間のあらゆる問題が溶け込んでいます。そして、上帝様の人間に対する憐憫と苦悩が込められています。世界戦争は宇宙の理法を基にした上帝様の公正な判断であり、人間と神明の怨と恨が一斉に衝突して引き起こす火花と涙の天地解冤の儀式であります。
人類文明史における丹朱の怨恨は止め損なったボタンの如きものでした。それ以来、人類の怨と恨は雪達磨式に増えていきました。今や、その怨と恨をきれいさっぱりに精算してこそ、人類は後天の新世界・新文明へと跳躍することができます。
それでは、丹朱は誰でしょう?
丹朱は、尭舜時代を生きた悲劇的人物で、唐尭の息子です。中国の儒家思想では、尭と舜を聖王として仰ぎ、この時代が泰平の御代であったと言います。しかし、尭・舜の歴史はすっかり歪曲されたものです。このことについて甑山上帝様は次のように諭して下さいました。
世間では尭舜之治と言われて来たが、九年の洪水は人民の涙によって生じたものである。尭が天下を武力で打ち取ったので、九年の洪水が発生して民が皆、流浪に追いやられたのである。-『道典』4:24:3~4-
西洋におけるノアの洪水とほとんど同じ時期(前2297年)に発生した9年の洪水は、天が民衆の涙に感応した事件であるとおっしゃいました。それは、尭王は天下を征伐して帝位につき、舜王は刑罰で多くの人を殺したからです。それ故に、尭舜の「泰平の御代」は全然理屈に合わない話です。
尭王の息子として生まれた丹朱は智恵と聡明を備えており、世の中を正義と和合でもって治められるほどの徳性をも備えていました。甑山上帝様は丹朱を、大同世界を実現するために先駆ける歴史的人物として評価され、若し彼が世の中を治めたならば、天下は一家となり、大いなる平和時代が実現されたかもしれない、とおっしゃいました。(『道典』4:24参照)
しかし、尭が丹朱を不肖の子と思い、二人の娘を舜に嫁がせたうえ、天下を彼に受け継がせたところ、丹朱は大同世界の夢を遂げられず、根深い怨恨を抱くようになりました。そこで、「唐尭は囲碁をつくって丹朱に伝授し」(『道典』4:54:1参照)、丹朱は囲碁を拠り所にして鬱憤を鎮めるようになりました。これより怨恨の根が深く刻み込まれ、時代の推移に従って全ての怨恨が加わって更に大きくなり、遂に先天の末代になっては天地にいっぱいとなって爆発寸前の状態に至らしめたのです。(『道典』4:5:1~2)
丹朱は怨恨の歴史の根であり、囲碁の始祖です。新時代新文明を開くためには、先天相克文明の中に累積されている全ての怨恨を解消しなければなりません。これをなすためには怨恨の根源から解冤すべく、甑山上帝様は「丹朱をして世運を統轄させ」(『道典』4:15:12)彼の冤を解きほぐすことを手始めに、数千年の間積もり重なった全ての怨恨の節と輪奈が解かれるから」(『道典』4:15:1~2)であります。
これと共に、先天で天下を救おうという大きな大志を抱きながら、時勢が不利なため死んで行った「万古逆神」、それぞれ抑鬱と無念を抱いて死んだ神明(『道典4:15:8-9)の解冤もなされます。
上帝様は「夏秋交替期」に先天相克文明を終決し、後天の新しい世界、世界一家統一文明を開くための世界解冤の場を整えました。これが丹朱解冤を基に新しい歴史の運命を定められた「五仙囲碁」と、相撲場の枠を取り入れて組まれた三回にわたる世界戦争の公事です。
「五仙囲碁」とは文字通り、五人の神仙が碁盤を挟んで向かい合っているという意味です。これは上帝様が、一生涯碁を打ちながら世界一家の大同世界を成そうと夢見た丹朱に世運を統轄させて、彼の雄志を思う存分広げられるようにして下さったことです。これをもって先天の歴史に累積した怨恨の節と輪奈を解きほぐすようになさいました。
また、後天の仙文明世界へ進めるようになる基盤が設けられるのです。これは、「五仙囲碁」の「仙」の字が含み持っている意味を代弁しているところであり、東方の朝鮮が「仙」文化の始原地であることを現わすものです。朝鮮は人類文化の始原である「仙」の発祥地であり、結実の地であります。
韓国の古代史を正す
東洋の古い経典では、「艮方は東北方にある卦である。東北の艮方は万物の終わりと新しい始まりがなされる所である。それ故、艮方で全てのことが成し遂げられるのだ。(『周易』「設卦伝」)と言いました。東北の艮方は韓半島の朝鮮を指し示します。それ故、宇宙の主宰者であられる甑山上帝様は「艮の度数」に従い、人類の先天文明を締めくくり、秋の実である新世界新文明を開くため、朝鮮の地に降臨なさったのです。
ところが、人類始原文化の本郷である朝鮮の歴史は相克文明秩序のなかで、数千年間中国と日本の侵略を受けて根元から断絶・歪曲され、今だに東方歴史の流れを傷つける行為が恣行されつつあります。その一事例が「東北工程」のことです。コリア(Korea:韓国)の語源は高句麗の正統性を継承した高麗であります。東北工程のことは、早くから韓民族の独自的文化をなしていた高句麗の歴史を中国史に吸収しようと企てる中国政府の歴史歪曲に他なりません。
東方の韓国は、元来、神教を磨き、上帝様と天地神明をともに奉ってきた全人類の祭祀文化の本郷である。韓民族は桓国ー倍達ー朝鮮(古朝鮮)の三聖祖時代を経て、列国時代以来、中国の漢族と日本により歴史が歪められ、民族史の根が断ち切られ、その傷口は甚だ深かった。
-『道典』1:1:5~6-
東北の艮方に位置した朝鮮は、人類の始原文化の根をしっかり守って来ました。韓国の古代は朝鮮と呼ばれました。その朝鮮より先の時代には倍達国がありました。それより更に以前には、東西人類における原形文化の時代として桓国が実在しました。それで、朝鮮の歴史は桓国ー倍達ー朝鮮へとつながり、それぞれ桓仁ー桓雄ー檀君といった三聖祖が国を治めました。
この時を三聖祖時代と言います。これを東方の韓国に降臨なさった甑山上帝様は神道の次元で明かして下さり、三聖祖時代の統治者たちも神明になって、天上の神明界に実存していると教えて下さいました。
その後、朝鮮は列国時代(北夫余、南三韓、楽浪国、東沃沮)、四国時代(高句麗、百済、新羅、伽耶)、南北国時代(渤海、統一新羅)、高麗時代、朝鮮時代を経て、今日の南・北分断時代(南韓、北韓)に至りました。甑山上帝様は歪曲され失われた韓国の古代史(上古史)を質定(基礎を堅める)して下さり、国統を正して人類史の魂を蘇らせて下さいました。
新しい世の中はどうやって来るのか
秋開闢の実際状況
後天の秋開闢は何故訪れるのでしょうか。大宇宙は巨大な生命体であり、おおよそ生命体は量的変化である成長の過程と、質的変化である収斂の過程を経るものです。ところで、量的な変化から質的な変化への転換は、漸進的に行われるのではなく、飛躍的に起こります。今が正に、先天の夏の末期から後天の秋へと移り変わる転換点(Turning Pont)です。宇宙の原理で言えば、「夏秋交替期」の時間帯であります。
宇宙の春夏の先天時間が終わり、宇宙の秋の時間へ移り行く夏秋の交替期には、新しい天地気運が開きます。秋の気運は宇宙万物の精神を一斉に成熟させ、その意識を一つに統一させてくれるもので、春夏の天地気運とは全く次元を異にします。甑山上帝様は「秋の気運は造化の神である(秋之気神也)」(『道典』2:110:6)と言われました。
秋の天地気運が神と言うのは、「西神」を意味します。西神は、先天の生長を止めさせるばかりでなく、多くの生命を殺す粛殺の気運を帯びて来ます。これを甑山上帝様は「春生秋殺」(『道典』8:37:2)と諭されました。
史西神が命を司り万有を支配し、全ての道理を集めて大成するが、これが即ち開闢である。万物が秋風に枯れ落ちることもあり、或いは成熟することもあるが如く、真実なる者は大きい実を結び、その寿が永く栄えるが、虚偽なる者は枯れ落ちて、永遠に滅亡するであろう。
-『道典』4:19:2~5-
キリスト教の『聖書』では「西神」を、天上の「白い御座の神」と言います。この白い御座は秋の気運を象徴します。つまり、その方は秋の天地気運を開いて、この世の全ての自然と文明と人間を取り入れることでもって、宇宙創造の窮極の目的を達成なさるのですが、そうするために、「夏秋交替期」には天地の秋殺気運に乗じて「西神」が降りて来て、実を結ぶべき生命を除いては一切容赦なく殺してしまうのです。
「夏秋交替」は宇宙の理法です。この時に必然的に起こる秋開闢の実際状況はとてつもない規模の宇宙史的な事件です。これについて上帝様は次のように諭されます。
天地開闢時代に、どうして戦争がなかろうか。これから先に天地の戦争がある。
-『道典』5:144:3-
兵乱と病乱が同時に突発するのだ。戦争に相次いで病が襲う。戦争は病でなければ止めようがない。
-『道典』7:67:5~6-
今後、病劫が全世界を荒らし、人類を全滅させても、生き残る手立てが得られないだろう。 -『道典』7:24:3-
学者たちが「方位が変わる」と言っているが、私が天地を変えておいたことを、どうして世の中が知るだろうか。
-『道典』4:98:1-
後天の秋開闢は必然的に患乱の大変局を伴うものです。このような秋開闢の実際状況は、三大事件として勃発します。一つ、先天の相克秩序のなかで形成された怨と恨を解くため、人類最後の大戦争が起こり、二つ、これに終止符を打つ事件として、西神(病劫)が秋殺気運に乗じて降りて来て、後天の世で生きるべき生命の種を選り抜きます。三つ、地軸がまっすぐに立つと同時に先天の相克秩序は終わり、新世界・新文明を開くための相生の秩序が開かれます。
先天文化を締めくくる大戦争
甑山上帝様が執り行った天地公事は、先天相克の中で歪んだ歴史の定義を正しく立て、後天秋の相生の大道世界を開いて、世界が一家になる統一文明政権を建設することです。そうするためには、夏季の成長の頂点から結実の秋の天地へ移り変わる「夏秋交替期」には、先天の相克秩序が破棄されるべく、それと同時に、天地間に累積された怨恨もきれいに解消しなければなりません。甑山上帝様はこれを戦争でもって終止符を打つ公事を行われました。戦争は三回にかけて起こるようになっており、一番目と二番目は、先天の相克秩序の下で傾いていた東洋と西洋の均衡を正すための戦争で、決戦になる三番目は、人類最後の戦争と言われる上相撲(サンシルム)であります。
甑山上帝様は3回にかけて起こる世界戦争を、韓国の伝統的な民俗競技の相撲場に喩えて、「現下の大勢は相撲の土俵と同じで、童相撲と青年相撲が終わった後、上相撲で土俵を終えるだろう」(『道典』5:7:1)と諭して下さいました。
それでは、最後の決戦になる上相撲の対決構図はどのようになっているでしょうか?
現下の大勢を、五仙圍碁の気霊で回すのだが、二人の神仙は碁盤を挟んで対局し、二人の神仙は各々、横合で手を教え、一人の神仙は主人である。主人はどちら側にも手を教えることが出来ず、袖手傍観して、ただ、客のもてなしだけするのである。年事に大きな落度なく、客を接待する礼儀さえ欠かさなければ、主人の責任を全うしたことになる。やがて対局が済めば、碁盤と碁石は主人に返るのである。 -『道典』7:6:2~6-
この」「五仙囲碁」の様相は、世界情勢が5人の神仙、つまり碁盤の主人である韓半島を中心に世界4大強国が組に分れて対局する形状を意味します。甑山上帝様が「夏秋交替期」の世界情勢を碁盤に喩えて組んで置かれたのは、尭王の息子丹朱が囲碁の始祖であるからです。これは、歴史以来、丹朱が抱いた怨恨を解きほぐし、彼に世運を統轄させようとしたことです。
先天相克秩序の枠組みを破る第一次、第二次世界大戦
一番目の童相撲は子供たちの相撲で、子供たち規模の戦争を意味します。これは、日露戦争(1904年)に始まって第一次世界大戦(1914~1918年)が終わるまでです。甑山上帝様は世界列強の勢力を弱化させるために、天上界で兵権を握っている関雲長に、天地神明と東洋の神明を引き連れて西洋に行って列強間に戦争を起こすよう、天地大権でもって天命を下します。
そこで、関雲長は累卵の危うきにある弱小国を救い、東洋から西洋勢力を退かせるために列強の間に戦争を惹き起こすのです。これが童相撲の第一次世界大戦であります。「関雲長が朝鮮に来て手厚いもてなしを受けたので、その報いとして当然、公事に協力してくれるべきだろう」(『道典』3:121:4)
二番目の青年相撲は、血気盛りな若者たちの相撲を言います。これは、日中戦争(1937年)から始まって第二次世界大戦(1936~1945年)が終決するまでです。甑山上帝様が天地公事を執行なさる当時、朝鮮は含む東洋の多くの国々が西洋帝国主義に蹂躙され、国家存亡の岐路に立っていました。上帝様はこのような東洋を救うために日本を、西洋勢力を退かせるやり手としました。「今、もし西洋人の勢力を退けなければ、東洋は永遠に西洋によって踏み躙られるであろう。故に、西洋の勢力を退け、東洋を掴むのが正しいので、今、日本人を天地の大きな働き手として立てよう」(『道典』5:26:4~5)その後の1945年、第二次世界大戦が終結されながら、朝鮮を初めとした世界の多くの国が独立するようになりました。
人類最後の戦争、南・北の上相撲
三番目の場は、後天の秋開闢と同時に起こる最後の戦争です。これは、宇宙の「夏秋交替期」に、先天相克秩序の歴史をすっかり片付け、後天相生の新しい秩序、新しい歴史を始める大戦争を言います。
では、上相撲の最後の戦争は何処から始まるのでしょう?儒家の宇宙論を整理した孔子は、「艮の方位は万物の終わりと始まりがなされる所である。故に、お言葉は艮の方位で成就されるのである。東北の艮方は救援の大きな門である」(『道典』1:5:2)と言いました。東北の艮方は韓半島を指します。先天人類の運命を終結させる最後の戦争も韓半島で起こり、後天秋開闢の新世界・新文明を開くのも韓半島で始まります。これを甑山上帝様は次のように諭して下さいました。
上相撲でもって終於艮するのである。戦争でこの世の終結をつけるのである。この開闢時代にどうして戦争がなかろうか。 -『道典』7:67:1~2-
土俵場は朝鮮の三十八度線に置き、世界の上相撲の場を取らせよう。万国裁判所を朝鮮に設けるが、土俵場に牛が出れば場が片付けられるであろう。
-『道典』5:7:3~4-
それでは、上相撲の場が展開される人類最後の大戦争の対決構図はどのようになっているのでしょう?これもまた、五仙囲碁の様相で組まれています。韓半島における三十八度線を境に南・北と分かれた朝鮮を挟んで、米国-日本、中国ーロシアが対決する構図になっています。
1945年第二次世界大戦が終わると韓半島は解放を迎えるようになり、「五仙囲碁」の対決構図通り、三十八度線を基点にして北側にはソ連が、南側には米国が入って来ました。その結果、韓半島は南と北に分かれ、60年余りが経った今まで互いに対決の様相を見せており、今や最後の決戦になる上相撲だけを残しています。これは、東西勢力の対決、資本主義と共産主義との理念的対決構図を完全に解消しつつ、一つになるといった戦争だけではありません。
今日、最後の上相撲を目の前にしている南北の対決が地球村の注目を浴びています。これは南・北朝鮮の問題が全世界を焦土化させ得る核戦争の火種を抱えているからです。特に北朝鮮の核兵器開発は世界が触覚を逆立てている焦眉の問題です。しかし、甑山上帝様は既に核戦争の火種のみならず、天地の火気を埋め遁す公事を執行されました。
「天地に辺山ほど巨大な火の玉があるが、万一、それが現われて転がり回れば、全世界が灰になるだろう。故に今、私がその火を埋めたものである」(『道典』5:168:16~17)。これは、南北の上相撲が先天歴史の過程で生じた相克の火の気運を葬る天地の大公事なのです。
今も東アジアの覇権を掌握しようとする米国と日本、ロシアと中国は二分されている韓国と北朝鮮を前面に出して、戦争に向けての緊張感を高調させています。時になれば、三十八度線で上相撲の戦争が勃発します。だが、更に大きい戦争は中国で起きて世界大戦へと拡がります。
乱の始まりは*三十八度線にあるが、大きな戦争は中国で起こるのである。中国は万国の行き交う足に踏まれて瓦解するだろう。
-『道典』7:67:4-
無名悪疾が蔓延れば、米国は引き留めても帰るのである。
-『道典』5:301:10-
ある日、上帝様は「上相撲に勝負あり」(『道典』5:236:9)とお叫びになったことがあります。これは先天時代を終結し後天時代を開く世界解冤の儀式とも言えます。詰まる所、上相撲の世界戦争が終結されると、同時に先天の相克秩序も終わりを告げます。それから、秋開闢の新しい相生の秩序が開き、碁盤の主人である韓半島には地球村の統一文化を開く、「世界一家の統一政権」(『道典』5:236:10)が樹立されます。
人種の種を選び出す大病劫の審判
上帝様の天地公事は、後天の新たな相生の秩序且つ秋開闢の文化を開くためのものです。そうするためには、先天の相克秩序のなかで、累積された総体的な問題、並びに夏の末期の古びた気運がきれいに片付けなければなりません。その一環として、上帝様は天上の神明たちを動員して、人類最大・最後の戦争と言われる上相撲の世界大戦を起こされます。それならば、この戦争はどうやって終結させられるのでしょうか?
兵乱と病乱が共にやって来る。東洋と西洋を戦わせて、傾いた局面を調整しようとしたが、あまりにも両者に違いがあり、張り合わせが困難なので、病で局面を均すことになったのである。乱は病乱が大きい。病劫が蔓延れば、もぐらが土を掘り返せず、燕が空を飛べないだろう。今後、無法三年がある。その時には人々が誰の家でも押し入って、食べる物を奪い取ろうと飛びかかるので、自分の所有でも独りで食べることは出来ないだろう。戦争は私が起こし、私が止めるのだ。聖徒たちが「どのようにしてお止めになるのですか」と伺うと、言われるに、「病で止めるのだ。将来、戦争は病によって終息されるのである。この先、戦争が起こるや否や病気が襲うので、兵乱が即ち病乱なのである。 -『道典』7:25:1~8-
「夏秋交替」の秋開闢期に上相撲に勝負がつけば、戦争の火魔の中から前代未聞の病劫(怪疾)が発生します。この病劫は、地球村全ての紛争や大戦争に終止符を打ち、先天末代に累積された数多の問題と古い気運を一挙に取り除くためにやって来るのです。何故ならば、病でもって人間を間引きしてこそ、私情が差し挟まれないからです。
病劫審判は、天地の怪疾神明が、秋殺気運に乗って降りて来、全世界を荒らし尽す現象です。この神明は老若男女、貧富貴賎、信仰如何、善人悪人を問わず、命ある者は容赦なく殺します。
先天の全ての悪業と神明たちの怨恨と報復が、天下の病を生み出し、怪疾となるのだ。春と夏には大した病はないが、秋季への変わり目になれば、春夏の因果応報が病勢を引き起こすのである」と。更に「もはや、天地大運が大いなる秋の時運を迎えた。天地の万物農事が秋の運数を迎え、先天における全ての悪業が秋運の下で大きな病を生み出し、天下の大乱を引き起こすのである。大乱の後に大病が発生して全世界を荒し尽くすようになれば、逃れる術がなく、どんな薬ででも治すことができない。
-『道典』7:28:2~6-
病劫が全世界を強打する時は、如何なる最先端の医術や薬でしても治すことが出来ません。何故ならば、怪病は天地の秋殺気運に乗じて来るものだから、現代の医学では治療の術がありません。
それだけではなく、「病劫が襲ってくる時は、まず、薬局と病院に侵入して、医術を持つ者を真っ先に殺す」(『道典』7:26:3)からです。このように病劫が襲ってくる実際の状況は、全ての人類が手の施しようもなく死んで行く惨状そのものです。
怪病が蔓延する時には、寝ている間でも死に、食事する最中でも死に、往き来する途中でも死ぬので、死体を片付ける者がなく、鉄の三股鍬で突き刺して引っぱり出し、靴をまともに履くことすら出来ず、茫然自失となるであろう。…病劫は洪水のように押し寄せてくるので、横になっていた者は起き上がる間もなく、食事をしていた者は汁を呑み込む間もないだろう。
-『道典』7:26:1~2,8-
病劫が押し寄せてくれば、お前らに助けを求める叫び声が全天下に響き渡り、屍の腐る悪臭が天地を覆って、いくら図太い者でも、飯一匙口にすることすら出来ないだろう。 -『道典』7:31:2~3-
このような怪病は、「何時」「何処で」発生し、「何時まで」地球村を総嘗めにするのでしょうか?怪病は天然痘が再び発生する事件を機に始まります。天然痘は秋開闢の伝令です。天然痘が大きく発生すれば、相次いで大病劫が襲います。これを甑山上帝様は、「痘瘡の客(天然痘)であるが、天子の国であるためにこの神明が来たのである。今後、痘瘡は一旦なくなる。が、時になれば大発生するだろう」(『道典』7:47:6~7)と言われました。
天然痘の発生から始まる開闢の大病劫状況は、一番最初に開闢の地、即ち東北の韓半島から起こります。それは、「初めに発病する所は朝鮮であるが、これは病劫から救い出す救援の道が朝鮮にあるから」(『道典』7:30:2)です。
怪病による大病劫は、最初に朝鮮の「この後、病劫が広まる時は、郡倉(現在の郡山)で発生し、始発地を七日間回って西北にぱっと飛び散れば、急なることこの上ないだろう。朝鮮を四十九日間で一掃し、海を渡って全世界を三年間で一掃してしまうであろう」(『道典』7:30:6~7)。
怪病は三年間全世界を荒い尽しながら、秋の収穫期に実を結ぶことの出来ない人間共を全滅させてしまいます。これが秋開闢期に地球の人種を審判して人間の種を選り抜く病劫審判であります。
地軸の直立による大開闢
更に秋開闢の時・空間の軌道修正、つまり「地軸がまっすぐに立つ大事件」が起こります。これは甑山上帝様が、先天の相克秩序を締めくくり、後天相生の秩序を開くため「天地を回して置いたことにより、方位が変わること(『道典』4:98:1)を意味します。
ここで言う「方位が変わる」とは「極の移動(pole shift」を意味します。これは去る5万年の間、23.5°傾いたまま運行した地軸が正北と正南で一時に回って行き、先天の楕円から後天の正円へ軌道修正が起こることを意味します。
地軸が直立すれば、地球ではとてつもない地殻の変動が起こるので天変地異が発生するでしょう。地球の表面では、海と陸地が激変するので、これに戦慄し、大洋がねじれながら火山の爆発が連鎖的に生じ、煮え返る海水が跳ね上がっては陸地を叩き付ける壮観を演出するようになります。
豪雨を伴う猛烈な台風が地球村の文明をことごとく掃き捨てるはずです。また、月も星も空からにわかに見えなくなるか、あるいは激しく揺れるかのようにも見えるでしょう。このような状況について、甑山上帝様は次のようにおっしゃいました。
時運が尽きて大勢が切り替わる時は、夥しい雷鳴と落雷が起こって正気を保つのが難しく、東西南北が一瞬にして変わり、数日間、世の中は漆黒の闇に包まれるであろう。その時は火の気運がなくなって、マッチを擦っても発火されず、自動車や汽車も動かないだろう。時が熟して巡って来る開闢の運数は、天地の道理であるがゆえに、どうすることも出来ず、天が動じ、地が動ずる時に、何を拠りどころにして生きよう。泣き叫ぶ声が天地に徹するであろう。 -『道典』7:19:9~14-
火の開闢は日本で起こり、水の開闢は西洋で起こる。
-『道典』7:30:9-
地軸が直立することによって、先天の「抑陰尊陽」の秩序が正陰正陽の新しい秩序に変わり、時間の暦である陰暦と陽暦の区別がなくなり、地上には極寒極暑がなくなり、調和的で温和な四季が続くようになります。
先天末代の相克秩序に終止符を打ち、後天の相生秩序を開く秋の開闢期には、以下のような3大事件-上相撲の場で展開される世界大戦、怪病による病劫審判、そして地軸直立による自然災難-がほぼ同時に発生します。このような状況から人類が切り抜ける方法はないでしょうか?
あります!秋の開闢期に先天の人類文明を締め切って(艮の方位で終わり)、新しい世の中を開く所は、艮方の朝鮮(艮の方位で始まる)であります。それで人類救援の道は、 艮方の朝鮮にあります。このことを 甑山上帝様は、「避難は豆畑(太田)の畝にてなされる。太田が敷居である」(『道典』7:30:11~12)とおっしゃいました。
新しい世界へ行く道
生命を救う医統
後天の秋開闢期に秋殺の気運に乗って降りて来る怪病は、全世界を恐怖の坩堝に追い込むでしょう。 怪病は、理・神・事の法度に則って、秋天地の秋殺気運が実際的に体に入ってくることです。これは天上で、24将と28将を主管している病劫大将の朴公又聖徒が上帝様の命を奉じ、病劫を担当する神将たちを率いて、人間の魂を神明界に捕らえて入れることです。
このように全人類の生死が危ぶまれる切迫した開闢の瞬間に、上帝様はこの怪病を克服し得る唯一無二の処方を援けて下さりながら、「これが医統である」とおっしゃいました。
今後、病劫が全世界を荒らし、人類を全滅させても、生き残る手立てが得られないだろう。だから、一切の奇事妙法を捨てて、ただ、愚かに見える医統を知っておけ。私が天地公事を受け持って以来、この地上のあらゆる大きな災厄を退けたが、ただ、病劫だけはそのままにして置いて、お前らに医統を伝えるので、手の届かない珍貴な薬品を求めず、純然な心で医統を知っておくがよい。身をかわす間もない洪水のように押し寄せてくるだろう。
-『道典』7:24:3~7-
医統の「医」の字は、病を治らせて「生かす」との意であり、「統」の字は、「統一」を意味します。上帝様が援けて下さった医統は三つでなっています。通称して 医統と言うがこれは太乙呪を基とします。 医統の中で最も重要なのは「海印医統」です。なぜならば、これは実際に起こるであろう病劫の状況下で、死にかかった人の命を救い出し、既に死んだ人までも生き返らす救援の方便であるからです。
人類救援の方便「海印医統」は、上帝様の代行者である大頭目に伝援されました。 大頭目は、上帝様の天地事業を完成する偉大なる師です。大頭目が「海印医統」の権能を行使して、人類を救援するがための救援隊組織があります。上帝様は、かつて六任組織の公事を執行なさいました。
六任は、開闢の状況下で死んだ人を生き返らすのに必要な六名からなる組織です。この組織は、その責任者を布監と言い、全部合わせて七名で構成されます。これは、上帝様が全ての人間の生命と長寿に直に影響を及ぼす北方の星、即ち北斗七星の気運を引いて公事を行われた七星度数の具現であります。
上帝様は、大願寺の七星閣で、天地大神門をお開きになりました。これは、神教文化の中心に七星信仰があることを悟らせて下さいます。七星は、宇宙を主宰する上帝様が居られる星です。秋の開闢期には、救援の光りは七星から来ます。従って、上帝様は、ご自分の道を受ける、その誰にも、将来の開闢状況を克服されるよう、七星度数に従って六任を組むことを命じられました。
生命の霊薬、 太乙呪
甑山上帝様の9年天地公事の最終結論は医統であり、秋の開闢文化の成就は医統でもって実現されます。天地の秋殺の気運で、にんげんが煙の如く消えてしまう大変局の状況から、人間を救済する道は、医統であるからです。このような医統の基礎には 太乙呪があります。
太乙呪には、先天と後天の天地気運をつなぐ、人間の生命の農事経営の気運が効果的に持続されるよう、道の根源と救援の脈が入っております。上帝様の道の実が正に太乙呪であり、太乙呪を通じてのみ、我々は医統の道を手に入れることが出来ます。
-『道典』7:59:1-
呪文はマントラ(Mantra)と言います。その語源はインド語のマン(Man)とトラ(Tra)から由来したと言われます。マントラとは、「自己と自然が調和的になれるように橋を架けてくれる道具」と言う意味です。我々がそれを「吸う」と言う意の呪の字と、文の字を使って「呪文」と呼びます。「生命の根源を飲み込み、生命の神性を吸って食べる文」と言う意です。
23文字からなる 太乙呪の核心は、「 吽d吽d太乙天上元君」入っています。「吽d」は天地の父母を呼ぶ声で、神道の造化世界と私の体を直接に連結してくれる呪文であり、「太乙天」は生命が誕生する創造の造化世界としての人間生命の根源、全ての悟りと治癒エネルギーの根源を意味し、「上元君」は道通を開いて下さる道神の根として太乙天の主神です。
太乙とは、生命が生まれる創造の造化世界を言います。太乙天についての信仰と伝説は、数千年の歴史のもっています。この太乙天思想に東西の全ての天思想、生命文化、道通文化の根源が宿っています。全ての仏、神仙は太乙呪から生命をもらって悟りを得るのだと、昔の人は指摘しました。そうして、太乙を仏と神仙を出す祖宗であるとしました。
太乙呪は、かつて朝鮮時代の末期に、上帝様と同時代の人物であった金京X大聖師が天地に50年勉強の誓いを立て、修練を終えた時、天上から求道の結果として援かった呪文です。彼がこの呪文を援かった時、既存の呪文に「太乙天上帝君を付け加えて読みなさい」、「この呪文で人を多く生かすようになるだろう」(『道典』7:57:3)との神明の教えを受けました。そして上帝様が、その上に「吽d吽d」を更に付け加えてこの呪文を完成なさり、開闢期には「太乙呪を使いなさい」(『道典』7:57:5)と命じられました。上帝様は太乙呪を安乃成聖徒に伝授されました。
「吽」は全ての生命が成熟して、一つになる生命の根源の声です。日本の僧侶の空海(774~835)が書いた『吽字義』を見れば、仏教の三神仏の真理の結論が「吽」であると言います。また「吽」には、「大定不変也」即ち「大きく定めて変わらない」と言う意味が入っています。この大宇宙の神性と一つになると言うことです。従って「吽d吽d」と言えば、天地造化の根源、大生命が神性と一つになるということです。
上帝様は、「『吽d』は天地の父母を呼ぶ声である。子牛が母牛を呼ぶのと同じで、これが即ち民が天の神を呼ぶ声である。落盤四乳とは、『この四つの乳首をよく吸ってこそ生きることが出来る』という言葉である」(『道典』7:58:6~8)とおっしゃいました。
太乙呪には、上帝様の無形的な神権と気運が秘められているので、命の根を求める呪文になります。 太乙呪を一心をもって、しょっちゅうよく読む人は、真理の根本を悟る霊性が明るく開かれます。霊性が明るく開かれ 太乙呪の気運が神性であることを体験した人は、神道世界と通じるようになり、生命の究極的根源と一つになり、万物の深層に籠る生命の本性を悟るようになります。 太乙呪をよく読んで万物の中に宿る生命の真相を見てこそのみ、その時初めて「天と地の真相は何なのか」、「生きている私の本性が誰なのか」を悟るようになります。
甑山上帝様は、世の中の全ての生命の薬の気運を一つに丸めて、 太乙呪に付けて置かれました。それで 太乙呪は、天地の造化気運を受けて人間の体と霊を治癒する万病統治の薬であります。そうなので、 太乙呪は後天の秋開闢の病劫状況で死境に瀕した人類を救う救援の道であり、生命の根元を求める呪文であります。秋には、生命の源と根に戻る時です。上帝様が 太乙呪を援けられたのは、正に秋の新天地の原始返本の道を成就するためです。
太乙呪は天地の祈祷文であり、開闢期に天下の民を救う呪文である。今後、病劫が起きたら、太乙呪を読んで天下蒼生を多く救済しなさい。
-『道典』11:240:11~12-
秋の開闢期に、全地球村を総なめにする病劫審判は、仮借なく人間を殺します。怪疾病によって死んで行く人のみならず、死んだ人までも生かす甑山道の働き手は、 太乙呪の修行を沢山するべきです。 太乙呪の呪文修行を十分にした甑山道の働き手は、上帝様の清い気運を受けて霊台が開かれ、上帝様の真理で武装され、実を結ぶ信仰をするようになるであろうし、そして後天開闢期に多くの人を救うでしょう。それで、太乙呪の修行こそ真に3年間の病劫を乗り越え、後天の新しい文明を開いていける本当の鍵になります。
上帝様は、邪神と伏魔、そして先祖の誤りで発生する隻神の乱動から、その障害を解き解す、もう一つの呪文を我々に援けられました。それが、即ち雲長呪です。上帝様は、「雲長呪が天地の大借力呪(神霊の力を借りる呪文)」(『道典』5:275:1)とおっしゃいました。
雲長呪
天下英雄関雲長依幕處謹請天地八位諸将
六丁六甲六丙六乙所率諸将一別屏営邪鬼
唵唵喼喼 如律令娑婆訶
新しい世界の新しい生の営み
造化仙境文化
後天は、自然と文明が調和を成す最も理想的な新しい文明、即ち造化仙境世界であります。
将来、天下万国の言語・文字を統一し、人種の差別をなくすであろう。私の世は造化仙境である。造化でもって治めるので、無言の教えで無為にして教化される。私の道は相生であるので、互いに克する道理と罪悪のない世の中なのである。来るべき世では、男も女も皆、大丈夫で大丈婦なのだ。今や天下を一家に統一するので、全人類が一家族となり、徳が爛熟するであろう。また、生命を生かすことを徳とするであろう。
-『道典』2:16:2~8-
後天の造化仙境世界は、単純に自然秩序のみ変わるものではありません。既存の人類文化の枠が完全に新しく組まれるようになります。その世界は、即ち、造化をもって治め、語らずに教え、無為にして教化される新世界です。天と地が和合し、全地球村の政治と文化は調和的に一つに統一され、全ての人類が希った究極的な造化仙境の世界が建設されます。
道通文化
秋の開闢文明は、人間の心と体、これまた大きく開闢され、最高最上の人間像を持った人として生まれます。これが正に新・人間です。後天の新・人間は、原始返本して霊台が極度に明るくなり、また磨いた根気に従って道に通ずるようになります。
私は誰でもその磨いた程度に相応した道通を与えるので、道通の種が蒔かれた日から、上才は七日、中才は十四日、下才は二十一日もすれば、それぞれ道通するようになるだろう。 -『道典』6:87:2-
後天開闢の試練に耐え抜いた人類は、新しい地上楽園の文明を享有するようになります。このような文明を可能にしてくれた上帝様の度数とその主人公が正に仙媒崇子の度数(後天五万年の生命の仙世界を媒介する最も根源になる最初の人、第一番目の種と言う意味である)であり、幼い少女のホヨンです。上帝様は、ホヨンをずいぶん幼い時から連れて出歩かれました。上帝様は、黒石谷にあるホヨンに家で、ホヨンが9つなった年(1905年)陰の9月9日から、次の年の陰暦正月15日まで、125日間、ホヨンに厳しい修業をさせられました。それから後、ホヨンは神眼が完全に開かれ、天地間の全ての神明が往き来するのが全部見られ、鳥や鼠など動物の対話までも聞き取るようになりました。
上帝様は、後天の衣、食、住、生活文化、教育、芸術など、全ての分野で新たな真の文化を開き得る仙媒崇子の度数を幼いホヨンに付けられました。これと共に、上帝様は、新しい霊性の開眼と道通を実現するために、新しい生命開闢公事を執り行われました。それが、正に新しい世界の太乙呪の修行法です。秋開闢の世界では、ひたすら 太乙呪の修行法をもってのみ、新しい気運をもらい受け道通することが出来ます。
神人合一の万事知文化
天地万物の内在的本性は神です。全てのものの中で、人間は神明らと最も密接な関係を持っています。神明も人間と会ってこそ、神明の役を果たされ、人間も神明に会ってこそ、人間の役を成されます。
ところが、先天時代には、人間と神明は互いに交通がなかったので人間は造化を意のままに成すことが出来ませんでした。宇宙の秋開闢の世の中では、神が人間のために尽くし、人間もまた神のために尽くすので、「神明と人間が一つ(神人合一)になる世の中です。
後天は人間と神明が一つになる世界である。
-『道典』2:16:9-
先天では人が神明に仕えたが、これからは神明が人に仕えるのだ。 -『道典』7:36:6-
神と人間が合一した状態は、神と人間が造化を現すが、人が主体的になり、人間が知りたいと思うことは何でも自ずと知るようになる。そのような世界です。このような世界で神人合一の万事知の文化が展開されます。
人尊文化
太母様は「神人合一であってこそ、全ての造化の基礎が定められる」(『道典』11:81:9)とおっしゃいました。甑山上帝様が自ら人間として降臨なさった理由は、神と人間が調和的に相生することによって、これから到来する神人合一の人尊世界を開くためでした。
天と地より人間が貴い。これからは人尊時代である。
-『道典』2:13:3-
今や人尊時代に当たり、人間が天地の大勢を正すのである。
-『道典』2:25:2-
人尊とは天地の全ての理想を実現するのに、この上ない尊貴な存在は、正に人間であるとの意です。人尊とは、後天開闢の実践的主体が正に人間であるとの意味です。後天の人尊時代には、全ての人間が、宇宙の造化翁の神様、即ち、父なる甑山上帝様と天地の神様、即ち母なる太母様の道を承ってこそ、新天新地の新しい人間として新たに誕生します。
2004年(甲申、道紀134)5月14日
韓国の太田にて
甑山道宗正安 耕田